<< 2009年03月
1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

東京大空襲・・・祖父母の命日に思う・・・

2009/03/09 16:01

 

 

明日310日は祖父母の命日…。実家は浅草猿若町6丁目、雷門の近くにあった。お袋と兄姉は山形に疎開、実家には祖父母と親父と親父の二人の妹の5人が住んでいた。親父の話では…。

 

「親父の外出中に大空襲、浅草どころか東京中が火の海、親父は必死の思いで実家に辿り着いたが、実家や隣近所は火の海、4人の行方は分からない。浅草中を無我夢中で捜しまわった。そこいら中に死体が転がっていた。生き地獄のようだった。川は湯気がたちこもっていた。幸いにして2人の妹は見つかったが、余りに火勢が強く、熱くて水をかぶったらしい、びしょびしょになり震えていたそうだ。火に当たり朝まで暖を取ったが、その火は死体が燃えている火だと朝まで気が付かなかったと言っていた。完全に気が動転していて、人が焼ける臭いですら感じられなかったのだろう。親父は何日も何日も祖父母を捜したが、探し出すことは出来なかった。当然、実家は跡形もなく消失してしまった。

 

暫く、親戚の家に世話になり、終戦後に実家の場所を見に行った。実家のあった場所近辺は縄を張られ、他人が占有してしまっていた。戸籍が残っているので、直ぐに訴訟をすれば取り戻せたかも知れない。だが、親父の脳裏には悲劇の映像が強烈に残っていたのだろうし、当時は何もかも混乱しており訴訟どころではなかったのだろう、親父は土地を放棄してしまった。」

 

親父の遺品の中に、この時の顛末を書いたメモが残っていた。どういう訳か、後半部分が破り捨てられていた。辛すぎて忘れ去りたかったのだろう。晩年、親父は、一切この頃の話をしなかった。思い出したくなかったのだろう。同じような経験をした人はかなり多い筈である。日本人が忘れかけている過去の事実である。

 

生活が落ち着いてから、親父は浜松町に墓を2つ買った。一つは先祖代々の墓、隣のもう一つの墓は自分の墓。先祖代々の墓には祖父母の記念品が納められているかも知れないが、遺骨はない。外地で戦死した親父の弟の遺骨が納められている。何故、墓を2つ買ったのか、真意を聞く機会もなく親父は他界してしまった。東京大空襲の記憶から決別したかったのかも知れない。辛い過去から完全にに決別したかったのかも知れない。墓は田町と浜松町の間の寺にあり、電車から見える。ここを電車で通る度に合掌している。

 

一般庶民の無差別殺戮、東京大空襲を‘戦争犯罪’と言う人もいるが、戦争行為には‘道義’も‘犯罪’も、ましてや‘人間性’もない。‘戦争を早期に終結するために大量殺戮を選択せざるを得なかった’と言う‘言い訳’が、まかり通っている。勝者の論理である。自己防衛のための殺戮も‘仕方がない’と主張しているが、同じ論理・精神構造だろう。

 

アメリカの力が弱まり、様々な論理が頭を持ち上げつつあり、自己主張し始めている。主張がぶつかり合い、お互い譲らねば武力闘争に発展する。特に発展途上国は‘力が支配する世界’が多い。そこに宗教が絡み、テロリストが潜入し、ややこしくしている。オバマ大統領の話し合い路線、前途多難である。‘勝者の論理’=‘アメリカの論理’をどのように改めるのか…。自己・自国の論理に基づく‘仕方なく行使する一般庶民の大量殺戮’を止めさせるにはどうすればよいか、21世紀の新たな課題である。認め合う寛容の心が重要だろう。

 

カテゴリ: 世界から  > 世界の話題    フォルダ: 指定なし

コメント(0)  |  トラックバック(0)

 
このブログエントリのトラックバック用URL:

http://dankaisedai.iza.ne.jp/blog/trackback/945635

トラックバック(0)