今から27年前、初めて住んだニューデリーの借家は、ビジネス中心街から車で約20分の所に在る‘マハラニ・バーグ’と言う閑静な高級住宅街で、日本人駐在員家族が結構住んでいた。借家のオーナーは当時の外務大臣、彼ら家族は家賃月額50ルピーで広大な敷地の大臣官邸に住んでいた。大臣官邸に住める間は、高額を払ってくれる外人に家を貸し、高収入を得るやり方で、このようなやり方はニューデリーでは一般的である。離職後、一族郎党自分の家に戻り、そこで悠々自適の生活を送る。日本人は、高額家賃を支払い、家を傷ませず綺麗に使い、色々な要求に‘従順’に従うので重要な貸し先=お客である。時にオーナーの電気代も負担してくれる。配電盤を調整しさえすれば良い。
一般的に高級住宅街は、一軒当たりの敷地は広く、1,000㎡程度の家が多い。4方は塀と鉄柵で厳重に防備され、外からは容易には侵入できない。建物は2~3階建て、そのワン・フロアーを貸すのが普通で、オーナーかオーナーの親類がその他の階に住んでいる。ワン・フロアーは150~200㎡と、日本のマンションに比べれば、かなり広い。最終的には一族3世代が暮らす家族が多い。
小生一家が5年間過ごした借家の構造は、典型的な住居なので紹介する。2階建ての1階を庭付けで借りた。2階にはオーナーの知人が住んでいた。20畳位の応接室1室、12畳位の寝室3室(各室バス・トイレ付)、多目的用の8畳位のトイレ付の部屋1室、6畳位の食堂、1.5畳位の‘お祈り部屋’、そして、台所が2室、ベジタリアンとノンベジタリアン用に分かれている。当然廊下も広い。庭も広い。母屋と離れて車庫があり、その上に使用人部屋(サーバント・コーター)が2室ある。これ位が富裕層の一般的な、むしろ質素で小さい間取りである。台所が2つあるのは珍しいが、オーナーが政治家ゆえ、様々な来客が多かった為だろう。寝室が全てバス・トイレ付と言うことは、宿泊客が多い為である。遠来よりの客はホテルに泊まらず、知人の家に泊まるのもインドの一般的な慣習である。長居をする親族等の客も多い。インドでホテルが流行らなかった主因でもある。‘お祈り’も欠かせぬ日常行事、‘お祈り部屋’を持つ家も多い。使用人も、準家族の一員として扱い、使用人部屋をあてがわれる。常時、近くに待機させて置く必要のあるアヤかクックが部屋の主となり、アヤやクックの家族も住み着いてしまう。彼らは普通、子沢山の大所帯である。我が家のコーター使用権はアヤが握り、アヤの主人と子供、娘夫婦とその子供など、かなりの人数が住み着いていた。
当時の家賃は4,500~5,000ルピー、1ルピーが約20円程度であったので、10万円弱、今借りたら15万ルピー程度で約38万円、かなり値上がりしている。
使用人は、アヤ(子守)、クック(料理人)、ドビー(洗濯人)、スイーパー(床掃除人)、マリー(庭師)、運転手とチョキダール(門番)は会社が手配してくれた。一家の数より、使用人とその家族の数の方が多い。
5年前から3年間、ニューデリーの違うバサント・ビハールと言う場所に住んだ。27年前頃に、ボツボツと住宅が建ち始めた地域である。今は代表的なニューデリーの高級住宅街の一つになっている。借りた家の構造も、近所の住民の生活様式や風習・文化も、使用人に対する態度も、使用人雇用システムも殆ど変わっていない。変わったのは家賃だけであった。‘お祈り部屋’は、無かったが、他のフロアーにあるのだろう。
急成長を遂げているインド、都市の姿は近代的になりつつある。ビジネス街のオフィス・ビルも徐々に高層化され、郊外には高層マンションも出現している。ただ、其れを活用しているのは一部のビジネスマン、一部裕福層、そして外国人駐在家族が殆どである。大勢を占める一般階層は、旧態依然、殆ど昔と変わらない生活を送っている。
マハラニ・バーグの昔の我が家を見に行った。以前住んでいた頃は、歩いて1~2分圏内に日本人が住んでいる‘日本人部落’であった。住宅街は活気があった。昼間の人通りは多く、公園にはいつもアヤと子供たちの姿があった。今は全く閑散とした‘シルバータウン’に変わってしまっていた。日本人も殆ど住んでいない。家のオーナーが年を取り、現役を引退し、自宅に移り住んでいるのだろう。四半世紀、時の流れを感じさせる光景であった。家のオーナーが息子世代に変われば、また、街の姿も変って行くのだろう。ゆっくりと徐々に徐々に変わる世界、これもインドの一面である。


by iza-bear
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