シュトゥルム・ウント・ドランク…、「疾風怒涛」と日本語で訳されている。18世紀後半にドイツで起こった革新的な文学運動、ゲーテとかシラーとかが代表的作家である。「古典主義的な概念」を超え、‘感情の優越性’を訴えた。ある意味では「精神的文化革命」とも言える。この文学運動は後に「ロマン主義」に繋がる。白人・キリスト教文化に大きな影響を与えた。シュトゥルム・ウント・ドランク、「疾風怒濤」と言う日本語訳が気に入って記憶に残っている。(それ以上の意味は無い)
「アラブの春」…。今は「大嵐」になっている。今後どうなるかは「渦の中」だが、ある意味ではイスラム社会の「疾風怒濤」運動、‘感情の優越性’を訴える運動の様にも見える。「イスラム教社会」と言う特殊性はあるが…。
貧しいイスラム社会の中で鬱積した不満に日々葛藤していた若者が、精神的束縛からの解放を求め一気に爆発、‘自由’を主張し‘自由広場’に集まった。「集団心理」もあるだろうが、基本は「個々人の意識変革」にあるだろう。イスラム教の域を出ない意識変革ではあるが、イスラム世界にとっては歴史的事象であることは間違いない。イスラム女性の意識も着実に変わり、表に出て若者の行動に加わり、‘自由’を求め始めている。
若者の運動は、未だひ弱な「烏合の衆」の域を出ない。当面は、旧来よりの権力者や国際政治勢力により牛耳られるだろう。全面的革新の夢を抱く若者が失望するのは目に見えている。
長年に亘り培われた一国の政治文化は一気呵成に変えられるものではない。人間の大半、特に高年層は、「安らかな日々の生活」を願う保守的な性格だろう。急激な変化には着いて行けない。エジプトの選挙の結果が、それを証明している。エジプトの若者の「新たな葛藤」と「挑戦」はこれから始まる。
「変化」には時間がかかる。西洋の「疾風怒濤」運動、100年以上かけ徐々に浸透した。「文化の変化」には長い時間がかかる。
アラブの「疾風怒涛」、「感情」を抑制できない「激情」が先行し、現実が見えなくなっているようだ。「革命」を夢見る‘知識’も‘能力’も無い‘烏合の衆’、指導力のある政治的リーダーがいない。影響力のある文化人もいない。指導力のある教祖も出て来ない。
シリアの若者、米欧のマスコミで「個人の声と映像」が繰り返し流されている。「俺たちは自由を求めているだけだ」「政府の弾圧は非人道的だ」「非人道的な政府との話し合いなど応じられない」「武力では政府軍には勝てない」「国際社会の支援を仰ぐしかない」「国際社会よ、見捨てないでくれ」…。これでは、単なる「駄々っ子」である。
だが、この個人の言葉を根拠に、反政府勢力支援「有志国」連合が形成されつつある。国際世論を正当化の根拠として武力介入する心算なのだろう。想定外の自然な「疾風怒濤」運動、最近は人為的なキナ臭い外国の政略に変わって来ている。解決の主導権はシリア人(反政府勢力)には無い。


by Tom
ガソリン1ガロン3.5ドル…高い…